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フランスの日々:記録蔵

維新の会の橋下代表は府知事時代から、反撃するだけの力のない「敵」を選び出しては、そこに攻撃を集中させるという手法で、「既得権益を享受している層を叩き潰す」風景に溜飲を下げる選挙民たちのポピュラリティを獲得してきた

これが「ネット論壇マトリクス」だ!

小田嶋さんが右派で、ちきりん・勝間さんが左派とか、何がなんだか。めちゃくちゃ…。

EU内には、フィナンシャル・タイムズ紙が、単一通貨ユーロの破壊を目論む「アングロサクソン」の陰謀に加担していると本気で考えているように思える高官が数人いる(読者が疑問に思っているといけないので、念のために言っておくと、それは事実ではない)

Paris vs New York (by TonyMiotto)

『英米系の公共哲学で問題になる「自由主義」「自由至上主義」「共同体主義」「共和主義」などの用語は、リバタリアンを除けばフランス語にも対応する表現があるが、その意味するところはかなりずれている。アメリカのリベラルは保守に対する左派で社会民主主義に近いが、フランスでリベラルは、レイモン・アロンがいい例だが、左翼からは保守とみられてきた。自由主義は公共的決定から「善」という価値の問題を取り除き、価値に対しては中立で、公共の善よりも個人の権利を重視する。テイラーのいう「実質」を問わない「手続き型社会」である。これに対して共同体主義者や共和主義者は、公共圏の問題にもコミットし、自由主義的政策から生ずる環境破壊や貧富の格差、公共道徳の退廃などの問題を指摘する。公共空間に関る決定に価値の導入を求め、共通善、公共善を追求するのである。

他方、フランスの政治哲学では、「自由主義」「共和主義」「多文化主義」が三角形をなしている。これらはアイデンティティの拠り所を「個人」におくか、「国家」におくか、中間の「集団」におくかによって分かれてくる。自由主義は個人の自由を強調し、公的空間と私的空間を区別する点は共和主義と同じだが、国家の位置づけが異なる。フランスの共和主義は、個人の自由と平等を保障するためにこそ国家の役割を重視し、市民のポリス的空間への能動的参加を求める。共和主義が多文化主義を警戒するのは、多文化主義が個人の権利だけでなく集団の権利を認めようとするからだ。集団に権利を認めた瞬間から、法の普遍性によって支えられた共和国の公共性は崩れてしまい、個人は特定集団への帰属から自由になれない。』(A・センプリーニ「多文化主義とは何か」三浦信孝解説P177-178)
法廷での厳しいやり取りが毎日のように報道された結果、サムスンの知名度は世界的に上昇した。「アップルと対峙して競争する存在」であるという印象が世界中の消費者に植え付けられた点は見逃せない。